易占いの歴史




[0] 易占いの歴史

投稿者: 管理人 投稿日:2019年 8月21日(水)11時34分25秒 

「易」誕生の秘密とは?
易占いの歴史について投稿します。
※間違いがあったら指摘してください。





[1] 易の歴史①

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 8月21日(水)13時23分19秒   返信

アプリの紹介文に「易」は周王朝(B.C.1046年~B.C.256年)に成立した歴史ある占いだと書きましたが、順を追って紹介するために、それよりも前の占いについて説明したいと思います。

つまり、古代中国には易よりも古い占いがあったということになるのですが、
その占いとは一体なんでしょう?
①太占(ふとまに)
②式占(しきせん)
③占星術
④亀卜(きぼく)
※ヒント:漢字の成立・発展にも大きく貢献したと考えられる占いです。

正解はのちほど投稿します。



[2] 易の歴史①-正解

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 8月22日(木)10時43分15秒   返信   編集済

答えは④の亀卜(きぼく)でした。

亀の甲羅に穴を穿ち、そこに焼けた棒を差し込んで生じたヒビの形で吉凶を占うもので、周王朝の前、つまり殷(いん)王朝の時代に盛んに行われていました。
その占いを記録するために亀甲・獣骨に刻んだものが有名な甲骨文字です。占いの過程で生み出された漢字も数多くあったことでしょう。占いは漢字文化の発展にも寄与していたんですね。

しかし、亀卜による占いは次の周代に入って衰退。新たな占いが登場します。
これが「易」というわけです。次回は「易」の誕生に焦点をあてていきたいと思います。

※ちなみに、選択肢の太占(ふとまに)とは古代日本の占いで、雄ジカの肩甲骨を焼き、生じた割れ目の形で吉凶を占うものです。『古事記』に記述がみられるほか、『魏志倭人伝』に「骨を灼きて以って吉凶を占う」とあるのもこの太占のこととされています。この後、太占は中国から亀卜が入ってくることで廃れ、中国で衰退した亀卜が逆に日本で受け継がれていくことになりました。亀卜は現代においても宮中行事や各地の神社の儀式として行われています。



[3] 易の歴史②

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 8月24日(土)10時32分29秒   返信

さて、前回の投稿において亀卜が周代に入って衰退し、代わって登場したのが「易」であると書きました。易ではその占法もガラッと変わっています。

では問題です。
周の時代、易占いを行う際に利用されたモノは何でしょうか?
①やっぱり亀の甲羅
②竹
③釜で沸かした熱湯
④メドハギ(ハギ属の雑草)
⑤銭貨

正解はのちほど投稿します。



[4] 易の歴史②-正解

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 8月25日(日)11時31分41秒   返信   編集済

正解は④のメドハギ(ハギ属の雑草)でした。
漢字では蓍萩・筮萩(めどはぎ)と書きます。
※ほかにキク科の多年草であるノコギリソウも利用されたそうです。

メドハギの茎は断面が円に近く、まっすぐに成長して、しかも丈夫であるため、易で用いる筮(めどき・細長い棒状のもの)に適していました。
そして時代が下ると、筮竹(ぜいちく)の言葉もあるように細くて丈夫な竹に置き換えられました。
今日では易者のシンボルとしても有名ですね。

日本では、沖縄本島・奄美地方・対馬などでお盆のお供え用の箸、あるいは祖先の霊が長旅をして家に着いたときの足を洗うための箒として用いられているそうです。
なんらかの神聖な用途に使われることの多い植物なんですね。

写真:メドハギとメドハギを利用した箸(wikipediaより)



[5] 易の歴史③

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 8月27日(火)12時01分35秒   返信   編集済

前回まで、古代中国の占いの道具について投稿しましたが、亀の甲羅を用いる「亀卜」からメドハギの茎を用いた「易」に変化して、ずいぶん容易に占いを行うことができるようになりましたね。
占いが亀卜に比べて「容易」になったことから「易」と呼ばれるようになったという説もあるほどです。(ただし、この説はほとんど支持されていません)

ここからは道具ではなく、人物に注目していきたいと思いますが、さっそくここでクイズです。
易占いを生みだした人物は残念ながらわかっていませんが、易経の八つの卦(八卦)を描いた人物として仮託されている中国の神話・伝承上の神(あるいは帝王)は誰でしょう?

①伏羲(ふっき)
②黄帝(こうてい)
③天帝(てんてい)
④神農(しんのう)
⑤女媧(じょか)
⑥炎帝(えんてい)

正解はのちほど投稿します。



[6] 易の歴史③-正解

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 8月29日(木)15時56分39秒   返信   編集済

正解は①の伏羲(ふっき)でした。

伏羲は兄妹(あるいは夫婦)と目される女媧(じょか)とともに蛇身人首の姿で描かれることがある中国神話の神(あるいは伝説上の帝王)です。

この伏羲が何をしたかというと、黄河に現れた龍馬の背中の旋毛(つむじ)の形をヒントに乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤からなる八卦を作り、さらにそれを重ねて六十四卦としたんですね。(一説には④神農(しんのう)が重ねたとも言われています)

さっそく六十四卦ができましたね。次回は六十四卦の卦辞を作った人が誰かを見ていきたいと思います。

画像①伏羲と女媧
画像②八卦の元となった龍馬の背中の旋毛(つむじ)→河図(かと)と呼ばれる図になった。
画像③八卦(先天図・図の上が北)



[7] 易の歴史④

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 9月 4日(水)10時25分57秒   返信   編集済

さて、前回の投稿で易のシンボルイメージである八卦を作成した人物として、中国神話の神である伏羲(ふっき)が仮託されていると投稿しました。まず文章ではなく卦の図像ができあがったんですね。

以後、様々な人物が易の成立に関与していくことになるのですが、ここでクイズを出したいと思います。
八卦につづいて卦の名前と説明を述べる「卦辞(かじ)」が成立しますが、この卦辞の作者はだれでしょう?

①太公望(たいこうぼう)
②周の幽王(ゆうおう)
③殷の紂王(ちゅうおう)
④周の文王(ぶんおう)
⑤斉の桓公(かんこう)
⑥晋の文公(ぶんこう)

正解はのちほど投稿します。



[8] Re: 易の歴史④

投稿者: 名無しさん 投稿日:2019年 9月 4日(水)21時53分0秒   返信

>>7
アプリ、楽しく使わせていただいています。
また、この掲示板も時折覗かせていただき、楽しんでおります!
ありがとうございます!!!

今回はクイズに間に合ったので書き込みを…!
答えは、

> ④周の文王

に1票!



[9] 易の歴史④ー正解

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 9月 5日(木)09時41分6秒   返信   編集済

>>8
初めて回答いただきました。アプリのご利用と合わせて感謝いたします。

結果は、、、④周の文王(ぶんおう)大正解です!

文王は、殷(いん)王朝を滅ぼして周王朝を打ち立てた(いわゆる「殷周革命」)武王(ぶおう)の父親で、周王朝の始祖にあたる人物です。

彼が易を作るまでのいきさつは以下の通りです。
はじめ文王は②の選択肢に出てきた殷の紂王(ちゅうおう)に仕えていましたが、とある会合の席で紂王が家臣を残酷な方法で処刑したことを聞き、大きなため息をつきます。
これが、常日頃から文王の人望の厚さに嫉妬していた紂王の部下の耳に入り、告げ口により紂王の怒りを買った文王は殷の都の南にある羑里(ゆうり)というところに幽閉されてしまいます。しかし彼はめげません。まさにこの幽閉期間中に文王は易の卦辞(かじ)を考案したとされているんですね。
さらに、「易占い」アプリで卦をタップしたときに表示される「後天図(こうてんず)」も文王の作とされています。

他の人物についてもざっくりと説明します。
①太公望(たいこうぼう)は文王に請われて周の軍師となり、殷周革命の実現に活躍した人物です。『史記』には文王が立てた占い(易?)が文王と太公望を引き合わせたと書かれています。また、日本でも人気のある中国の怪奇小説『封神演義(ほうしんえんぎ)』の主人公でもあります。

②周の幽王(ゆうおう)は西周最後の王で、褒姒(ほうじ)という妃を笑わすために王国を滅ぼし、自らも反乱に遭って命を失った人物です。

③殷の紂王(ちゅうおう)は上にも出てきましたが、殷王朝最後の王(30代)で暴君として有名な人物です。愛妾の妲己(だっき)とともに日夜度を過ぎた宴会を開いたことは「酒池肉林」の故事としてよく知られています。

⑤斉の桓公(かんこう)と⑥晋の文公(ぶんこう)は春秋戦国時代に「覇者」と呼ばれ、大きな影響力をもった人物です。現在でも「覇王」「覇権」などという言葉を使うことがありますね。

今回、文王によって卦辞が成立しましたが、まだまだ易は完成しません。次回も易の成立に関わった人物について投稿したいと思います。

画像①文王
画像②卦辞(清家文庫)
画像③後天図(下が北)



[10] 易の歴史⑤-問題

投稿者: 管理人  投稿日:2019年 9月30日(月)18時04分45秒   返信

さて、前回までに
伏羲(ふっき)が八卦(はっけ)を、
周の文王が卦辞・爻辞(かじ・こうじ)を、
それぞれ作ったと紹介してきましたが、まだ易は完成しません。
※爻辞は周公(しゅうこう・文王の子)が作ったとも言われています。

易を構成する重要な部分としてもう一つ『十翼(じゅうよく)』というものがあります。
十翼とは平たく言えば卦辞を説明する注釈で、
『彖伝(たんでん)上・下』
『象伝(しょうでん)上・下』
『繋辞伝(けいじでん)上・下』
『文言伝(ぶんげんでん)』
『説卦伝(せっかでん)』
『序卦伝(じょかでん)』
『雑卦伝(ざっかでん)』
の文字通り計10部からなります。

では、ここで問題です。
十翼を作ったとされる中国の思想家は誰でしょう?

①孔子(こうし)
②老子(ろうし)
③孟子(もうし)
④荀子(じゅんし)
⑤荘子(そうし)
⑥墨子(ぼくし)

正解はのちほど投稿します。



[11] (無題)

投稿者: 名無しさん 投稿日:2019年 9月30日(月)19時03分33秒   返信

待ったく想像も付かないのですが、
余り馴染みの無い名前の墨子でいきます。



[12] 易の歴史⑤-正解

投稿者: 管理人  投稿日:2019年10月 1日(火)13時53分53秒   返信   編集済

>>11
ご回答有難うございます!

残念ながら今回の正解は①孔子(こうし)でした。

孔子はあの儒教の始祖として有名ですが、易の十翼の著者ともされているんですね。
そして、易を完成させた
①伏羲(ふっき)
②文王(ぶんおう)
③孔子
の3人は「三聖」とも呼ばれることとなりました。(他にも色々な3名の組み合わせがあります)

最後に孔子が加わったこともあって、易は純粋な占いではなく儒教の教えの一部にも取り入れられました。
今日『易』もしくは『周易』が『易経(えききょう)』と呼ばれることが多いのは、儒教の経典になったからと言えると思います。


ちなみに選択肢に出てきた6名の思想家は全員が中国の春秋・戦国時代の人物で、生年月日順に以下のように並びます。

①孔子(こうし)→春秋時代
②老子(ろうし)→春秋時代(伝説上の人物ともいわれている)
③墨子(ぼくし)→戦国時代
④孟子(もうし)→戦国時代
⑤荘子(そうし)→戦国時代
⑥荀子(じゅんし)→戦国時代

諸子百家といわれるように春秋・戦国時代は本当に多くの思想家を輩出した時代なんですね。

次回はちょっと易から離れますが、
孔子や墨子を含め上記6人のざっくりしたプロフィールを紹介したいと思います。

画像①:唐王朝時代の孔子画
画像②:東京の湯島聖堂にある孔子像


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