出演 : THE RATEL
Taiko Super Kicks
日程 : 新型コロナウイルス蔓延の状況鑑みて延期としました。振替公演の日程は、決定次第発表します。
場所 : 落合soup
オープン : 18時
スタート : 18時30分
チケット : 3000円
予約 : コチラから(現在予約不可)
暇つぶしに描いた絵はなんとなくとってあります。上京したての頃の絵は禍々しさがあって今見るときついです。
捨てられないもの、とくにないです
捨てるのが面倒くさくてそのままにしてるものはたくさんあるけど
捨てたものは忘れるから捨てられる
しかし人に貸したまま戻ってこないものは忘れられない
捨てられない物は、御札やお守りです。
毎年幼なじみが酉の市の時期になると浅草鷲神社の熊手を送ってくれるのが恒例なのですが、私は神社などに行く機会がなく全く返納できず溜まってしまい、こればかりななんだか家庭ゴミに出すのは少し躊躇してしまい捨てられません。
> ペットには確実に時間は存在していない。
私もこの一文、昨夜からずっと気になっていて一睡も出来ませんでした。ペットって、あの猫とか犬とかのペットですよね?
> > ペットには確実に時間は存在していない。
ペット!!!! 詳細求む
手帳が毎年捨てられなくて溜まっていく。旅先で拾った葉っぱとかどんぐりも、箱に保管してある。虫とかわいてたらどうしよ.........
確かにパンツは捨てるタイミング難しいと思います。
みなさん、捨てられないものはありますか??
生活とは無関係ながらも、ごくたまに手に取りたくなるもの。
私は、さまざまな寄書きがそうです。自分に向けられたメッセージに普通に感動します。
芸術は、生活空間に何重にも重なっている目に見えないルールや知らないうちにそれらに従っている自分自身をあぶり出す、別の視点そのもの。一般道徳や常識で捉えても仕方のないもの。
全然関係ない話しますが、最近極妻シリーズをぜんぶ観たのですが、みんな独りよがりで誰にも相談せずに人殺したり、勝手なマネばかりしてむちゃくちゃでした。たかだか30年ちょっと前の映画なのに、なんだか神話みたいだなと思った。そして、自分の行動を他人とすり合わせる事がすごく多くなったなーと思って空を見つめる事が多いです
芸術とは既存の価値観を覆してくれて、新しい気づきを与えてくれるものだと思います。だからsnsも社会情勢も政治も娯楽も仕事もなんだって芸術になりうると思います。時代によって、芸術の意味合いも変わるし。ちょっと前まではスーパーフラットなんかは認められなかったわけで。
偉い人が「これが芸術だ!」って言っても、それを決める権利はこっちにあるから。関係ねーし。と思う。
と思える強い意志を持っていたい。
私の中での意思決定づける要素のプライオリティの高いものは「保守じゃなきゃ良いんじゃない?」てとこです。すすすすすすすすすすすすすす。
> 映画体験と音楽体験、Liveにこそ、人間の時間がある。
> ペットには確実に時間は存在していない。
> タイムラインとはなんぞや。
誰か、他者、の存在のことを考えながらの表現は芸術ではないのかもしれません。共感をもよおす狂気がありえないように。狂った言葉、音楽、誰も知らない世界、本当の1人、かつ誰かの中にある1人でありつつも、理解しえないことから始まるものこそ、希望がある芸術だと。
間抜けに聞こえるかも知れませんが、私はパッと見てよく何かわからないものをどこか芸術的だと感じます。
でも考えてみると、そんなにおかしな話ではないかも知れません。
私は、大概のものはそれ自体としては芸術と呼べず、一方で芸術的な存在にもなりうるという状態にあると考えています。ただある、というような状態です。
その状態において、もともとの存在意義を剥ぎ取ったり、あるいは象形を崩したりする行為が芸術的なのではないかと思います。
そうやってできたものは大体パッと見てよくわからないんだと思います。
よく分からないという感じは、自分の中に長いことあって信頼している直感です。
SNSが芸術的かと言うと、健さんの言うように媒体でなので難しいです。
ただこれも同じでそれ自体としては媒体でしかないSNSも芸術の文脈に置かれることはあり得るとは思います。
こんにちわ。健(タケル)です。
芸術が何なのかは難しいですが、
ゼロ年代以降SNSは文化の中心に近いところに存在し、その存在は音楽やアート全般に相互的に大きな影響を与えています。
ただし文化的な存在であるSNSは、あくまで媒体であり、音楽や映像作品などとは根本的に違う印象です。それは時間や空間を超えて他者に強く語りかけるエネルギーを持たないのでは、と思います。
芸術とされるものは受け手によって異なりますが、
時空を超えてメッセージを送る事が出来ます。またメッセージ性を与える意思が無くても、メッセージは否応なしに付いてきてしまう、という感じでしょうか。
音楽やライブはそこから発生したメッセージによってその空間と時間をアーカイブし、それは盤や映像などになる事で更に色んな時空、様々な世界に飛んでいきますが、
SNSのアーカイブはあくまで起きた事象をそのSNS内で記録するもの、という気がします。むつかぴいですね。
質問のし方を変えますが、何を皆さんは芸術的だと感じるのですか?
お返事ありがとうございます。見る人によっては、何かが芸術になり得るということにはロマンがありますね。
芸術であるか、ないか。
受け取る側が芸術と思うか思わないかかと思います。
よってどんなものでも芸術になるしゴミにもなる。
権威のある人が芸術と決めたものを皆でありがたがってる感じがあるから芸術って何なんだとなるけど、本来は誰でも作り出せるし芸術を語ってよいと思います。
その作品の背景に過去のアーカイブがあり未来への伝達意思があるかないかはまた別の話な気がしてます。
SNSも芸術になり得るのではないでしょうか。
こんばんは、初めて投稿します。
アーカイブ=未来に伝達することを意識した記録の保存 と捉えた場合(これは日本語的な意味であり、英語的な意味とはやや異なりますが)、音楽におけるアーカイブと、SNSにおけるアーカイブというのはどのように異なるのでしょうか。
ひとつの側面として芸術として作られたものか否かという点が考えられます。しかし、芸術であるか、ないかの境目ってなんなのでしょうか?考えが纏まらず悩んでいます。
みなさんこんにちは。
当掲示板「archive us」をご覧いただきありがとうございます。
きたる3/28(土)、THE RATELとTaiko Super Kicksで自主企画のツーマンイベントを開催することになりました。
企画のタイトルは『archive us』、日時は3月28日(土)、場所は落合soupです。
企画タイトルには、"音楽とは時間をアーカイブするものである"という視点をベースに、ライブという人の体験のみにアーカイブされるものに対して、どうアプローチしていったら面白いのかを考え実践する場にしたいというコンセプトを込めました。
フライヤーは両バンドとも親交の深い、デザイナーの加瀬透さんに、企画の趣旨をお伝えし制作していただきました。印刷したものも都内各所に設置させていただく予定です。
また、人が来て演奏を聴く、そこでの体験がその人自身の中にアーカイブされる、という2段階のプロセスだけではなく、その前後にも仕掛けをしたいと考え、以下の試みを行います。
1. 両バンドメンバーによるBBS投稿形式のオープンディスカッション・ウェブログ(当掲示板です)
2. 来場者特典として、その日のライブ音源の録音を配布
BBSには、バンドのメンバーだけでなくても書き込みいただける仕様になっているため、どなたでもディスカッションにご参加いただけます。
イベント当日まで、盛り上げていきましょう。
-------------概要--------------
※2/22(土) 19:00 告知解禁※
『archive us』
出演 THE RATEL, Taiko Super Kicks
日程 3月28日(土)
場所 落合soup
オープン 18:00
スタート 18:30
料金 3,000円(ドリンク注文自由)
予約 archiveus.info@gmail.com もしくは以下フォームにて申し込み
https://forms.gle/CDPfTi5PWcd5gnVj9
WEBサイト https://9220.teacup.com/archiveus/bbs
問い合わせ archiveus.info@gmail.com
THE RATEL
2018年に結成。池田若菜(ex 吉田ヨウヘイgroup)、内藤彩(ex 吉田ヨウヘイgroup)、溝渕匠良(TOURS, ex SuiseiNoboAz)、富樫 大樹(サンガツ)、畠山健嗣(H Mountains)の5人で活動。
ポストハードコア、ポストパンク、オルタナティブ、カンタベリー、フォークなどの要素をベースにした楽曲を制作し、2019年に『Focus EP』『dimention of a room (EP)』をリリース。
リリースツアーや自主企画ではuri gagarn、割礼、Klan Aileen などを呼びイベントを開催。
Taiko Super Kicks
伊藤暁里(Vo,Gt)、樺山太地(Gt)、大堀晃生(Ba,Cho)、こばやしのぞみ(Dr)により結成。東京都内を中心に活動中。現在に至るまで2枚のフルアルバムと1枚のEPをリリースしており、2018年11月には初の7インチシングル『感性の網目 / bones』をリリースした。2020年現在、新しいモードで意欲的に新曲を制作中。